終末期キーワード(終末期を考えるキーワード)

No.2 「死生学」

なぜ「死生学」であって、「生死学」でないのか? そして「死生学」とはなにか?

text:山崎 浩司(東京大学大学院人文社会系研究科次世代人文学開発センター上廣死生学講座)

 自分の専門が「しせいがく」だというと、「え? なに? 姿勢学?」と問い返されることがあります。一般の人びとにとって、それほど「死生学」は新しく、なじみのない学問のようです。まだ「死生観」という言葉のほうが知られているようですが、それでも日常会話でそうそう出てくる言葉ではありません。ただ、映画『おくり人』がアカデミー賞を受賞して、マスメディアで「死生観」という言葉が人びとの口の端に上るようになり、ますます認知されてきてはいるようです。

 ところで、なぜ「死生学」であって、「生死学」ではないのでしょうか。一般的には、「それは生死にかかわる問題だ」というように、「生→死」の順番がふつうでしょう。また、台湾では「生死学(Life and Death Studies)」というようです(得丸, 2008: 150-151)。東京大学グローバルCOEプログラム「死生学の展開と組織化」拠点リーダーの島薗進氏は、この辺の経緯を次のように説明しています——

 1980[70*]年代に「死生学」の語が使われ始めたとき、たとえば「生死学」ではなく「死生学」の語が用いられたのは、一つにはこの語を積極的に用いようとした人々の関心がまずは「死」にあり、「死」の語が先に登場する語が好まれたという理由が考えられよう。だが、他の理由として、すでに「死生観」の語がそれ以前からしばしば用いられており、とおりのよい語だったという理由も介在していると考えられる(島薗, 2003: 8-9、*島薗, 2008:9では、「英語のThanatologyやDeath Studiesという語に対応する日本語として「死生学」という言葉が使われるようになったのは、1970年代のこと」とある)。

 「死生観」という用語は、1904年に加藤咄堂(とつどう)という哲学者が『死生観』と題する書物を著して以来、使われるようになったといわれています(島薗, 2008: 14)。つまり日本では、学問としての死生学は、1970年代後半からその具体的なかたちを成し始めたのですが、「死生観」という語自体はその時点ですでに70年以上の歴史があったことになります。こうした背景を考えると、日本の死生学は、死生観の学としての要素を根底にもっているといえるでしょう。

 ところで、これまで3回の死生観流行があったと島薗氏は指摘しています(島薗, 2008)。第1期は20世紀初頭で、まさに加藤が『死生観』を著した時期であり、西洋文明との接触で、日本や東アジアを越えた未知なる生き様・死に様と出会い、古今東西の死生観が比較されるに至りました。第2期は第2次世界大戦中であり、このときは若者たちが死を覚悟するうえで、一つの「死にがい付与システム」(井上, 1973: 12)として、死生観は大いに動員されました。そして、第3期は1970年代後半から現在までであり、この背景には、病院死の増加、医療技術の革新、死の隠蔽、葬祭や宗教文化の形骸化があります。

 この3度の死生観流行を概観すると、日本の死生学の守備範囲がわかります。それは、死生観の比較研究(第1期)、戦争・暴力・政治と死の問題(第2期)、終末期医療、生命倫理、喪失・死別、葬送・宗教と死などの問題(第3期)と整理できるでしょう。東京大学が現在のグローバルCOEプログラム「死生学の展開と組織化」(3年目)と、その前の21世紀COEプログラム「生命の価値・文化をめぐる「死生学」の構築」(5年間)で、研究、講演、ワークショップ、シンポジウム、セミナーなどで取り組んできた内容を見渡しても、やはり上記のテーマに広くまたがっています(ホームページ参照)。

 死生の問題は、哲学や倫理学、歴史学や社会学といった既存の学問でもとりあつかえます。しかし、これらの分野では、死生学と違って、必ずしも死と生を表裏一体のものとしてとらえる(島薗, 2008: 27)ことが必須なわけではありません。私の考えでは、死生学はその名のとおり、死に注目することで生を逆照射的に浮き彫りにする学問です。そして、このような「死→生/死+生」というアプローチで浮かび上がってくるのは、死と生が絡み合った「いのち」の問題です。死生学(Death and Life Studies)は、この「いのち」の問題を上記のさまざまなテーマに即して考え、必要に応じて行動を促していく学際的かつ実践的学問なのです。

 次回は「臨床死生学」について考えてみたいと思います。自分も勉強しながら思考しながらの執筆なので、浅学を露呈するかもしれません。その際には、ご指摘・ご教示いただければ幸いです。よろしくお願い致します。


参考文献:
井上俊(1973)『死にがいの喪失』東京:筑摩書房.
島薗進(2003)「死生学試論(二)」『死生学研究』秋号(第2号),8-34頁.
島薗進(2008)「死生学とは何か——日本での形成過程を顧みて」島薗進・竹内整一編『死生学[1]死生学とは何か』東京:東京大学大学院人文社会系研究科,9-30頁.
東京大学21世紀COEプログラム「生命の価値・文化をめぐる「死生学」の構築」
東京大学グローバルCOEプログラム「死生学の展開と組織化」
得丸定子編著(2008)『「いのち教育」をひもとく——日本と世界』神奈川:現代図書.


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