終末期キーワード(終末期を考えるキーワード)
No.3 「臨床死生学」
text:山崎 浩司(東京大学大学院人文社会系研究科次世代人文学開発センター上廣死生学講座)
今年(2009年)、12月5日・6日に東京大学で、第15回日本臨床死生学会大会が開催されます。近年、日本スピリチュアルケア学会など死生学関連の新たな学会が発足しましたが、死生学領域で古くからある学会は、先の日本臨床死生学会と日本死の臨床研究会の2つです(後者は「研究会」と銘打っていますが、実質は学会です)。お気づきのように、両者ともに「臨床」という言葉が名称に含まれています。また、これらの学会で精力的に活動している人びとも、臨床に携わる人びとが中心です。こうした臨床との強い結びつきは、日本の死生学のひとつの特徴であると言えるでしょう。
これだけ臨床と死生学が密接だと、死生学はすなわち臨床死生学のことだと考えられなくもありません。しかし、前回のキーワード「死生学」で説明したように、広義の死生学は、臨床医学・医療の問題だけでなく、死を教え考えさせるといういのちの教育、死生観・他界観や葬送儀礼などの比較研究、戦争・暴力・政治と死の問題なども、その射程に収めています。従って、「臨床死生学」は、臨床医学・医療にまつわる死生の問題を考察する死生学の下位領域と位置づけるべきです。
しかし、『臨床死生学事典』によれば、ここで言う「臨床とは、医療や教育だけでなく、社会における人間の営み全体を含める」とあります(河野・平山, 2000: 2)。ですが、これではそれこそ「臨床死生学」と「死生学」が重なってしまいますし、「臨床=“clinic(al)”」がギリシャ語の「“kline”=ベッド(床)」から来ていることを考えると、あまりに語源の意味を拡大解釈することにならないでしょうか。
東京大学の死生学講座教授で『医療現場に臨む哲学』の著者である清水哲郎氏は、やはり死生学の下位領域として臨床死生学を位置づけています。清水氏によれば、臨床死生学とは、医療・介護従事者、患者、患者家族、高齢者をめぐるケアのプロセスにおいて、特にケアする側が「自らの死生に関する理解・価値観をブラッシュアップ」すること、また、「ケアの相手が、死生をどう理解し、評価しているかをよりよく理解する」こと、さらに、「社会は、公共的に死生をどう理解し、評価しているのかをよりよく理解する」ことを、「知的にサポート」する学問です(清水, 2009: 8-9)。
これに対して、初等教育から生涯教育において、「死に向かう姿勢」について考えてゆく領域を「教育死生学」とでも呼びうるのではないか、と清水氏は述べています(清水, 2009: 8頁)。「教育死生学」という名称の適切さはともかく、死生学の中心的テーマが医療・介護問題と死生にまつわる教育問題であることからすれば、「臨床死生学」と「教育死生学」を死生学の下位領域として位置づけるといった体系的整理は、納得のいくものと私は考えます。
ところで、清水氏の構想する臨床死生学では、臨床倫理学が欠かせない対として位置づけられています。両者は、死生にまつわる「ケアをいかに進めるかについて、ケア従事者を知的にサポートする」役割を共有していますが、臨床倫理学がケアの「倫理の形式面に強調点」があるのに対し、臨床死生学は「倫理の実質面や、患者理解がテーマの中心となる」点が異なっています(清水, 2009: 9頁)。が、当然これらは相互補完的な関係にあり、矛盾するものではなく、ケアにまつわる利害関係者全員にとって最良のゴールを目指すための車の両輪であるわけです。
清水氏は、自らの専門である哲学・倫理学を背景にして、臨床死生学に臨床倫理学的要素を加えました。とすると、私が臨床死生学に何かを加えるとすれば、やはり自らの専門である社会学を背景に、臨床社会学的要素を加えることになるでしょう。社会学は、近代社会における多様な現象を、社会と個人との関係に照準しながら分析する学問です。しかし、(特に日本の)社会学では往々にして分析や考察までを目的にし、政策の立案や改善といった実質的な貢献から一歩引いた地点にとどまる傾向が、これまで強かったと言えます。
こうした状況を打開するように、ここ十年くらいのあいだに「臨床社会学」が展開されるようになって来ました。この領域の日本の第一人者である野口裕二によれば、臨床社会学は「臨床と呼ばれる社会的現実を研究対象とし、研究成果の臨床的応用を目標にする」という要件を満たす学問領域です(野口, 2005: 4)。この臨床社会学的アプローチで医療・福祉にまつわる死生の問題の検討に臨むとき、臨床死生学に、臨床倫理学(や臨床心理学)とは異なる要素がもたらされることになります。
臨床死生学が、時代の移り変わりや地域的な違いによって、無限に多様な顔を見せる臨床問題に対し、何らかの具体的な貢献をし続けるためには、こうした学際性を失わずにいることが必須と言えるでしょう。
参考文献・ホームページ:
河野友信・平山正実編(2000)『臨床死生学事典』東京:日本評論社.
清水哲郎(1997)『医療現場に臨む哲学』東京:勁草書房.
清水哲郎(2009)「臨床死生学とは何か」『《医療・介護従事者のための死生学》基礎コース・セミナー――資料と記録』東京大学グローバルCOE「死生学の展開と組織化」:8-17頁.
第15回日本臨床死生学会大会
日本スピリチュアルケア学会
日本臨床死生学会
日本死の臨床研究会
野口裕二(2005)『ナラティブの臨床社会学』東京:勁草書房.